こんにちは、Tomoko です。

子供から青年時代くらいまで何度も聞くフレーズ。それは、

「あなたたちには可能性があります」

ある種の呪い

極論、大人から子供への押し付けであり、呪いのようにも感じました。

正確に言えば、大人が自分の子供時代を振り返ったときに出てくる「こうすればよかった」「ああすばよかった」です。私自信も大人なので、そういう思いが出てくることがあります。

それを「希望」の形にした教訓とか助言に近いものなのだと思いました。でも、大人の視点を子供は持てません。というか、持つ必要もないと思います。子供は子供の気持ちの葛藤や壁にあたりますから。

この言葉を受け取ってしまうと、逆に人生が閉じてしまう部分もあるのかなと思います。

選択することが怖かった

「可能性」とは、選択肢の多さのことだと思っています。

子供って、好奇心から行動するという意味では、本当に選択肢がたくさんあると思います。うまくいかなかったり、危険だとわかれば、うまくいく方法を見つけたり、離れたりすることを覚えます。

本当に危険なことややってはいけないことに関しては大人が入いる必要がありますが、多くの失敗は問題にならないと思います。

でも、大人に近づくにつれて、選択する時がやってくるんですよね。多くの人が経験する最初の選択は、高校受験なんじゃないかと思います。その次は、大学進学か就職か。

このあたりから、「可能性を狭めていく」感覚が生まれたんですよね。十数年生きてきて「可能性があることが大事」に反する行動をしなければいけないんです。

当時はあまり気づいていませんでしたが、振り返ってみると、高校受験あたりから急に自分の人生を大きく影響しそうな選択をするのって、やっぱり怖かったんじゃないかと思います。

選択したら、次の選択肢が現れた

大人になっても選択肢が狭まることが怖くて、選択が怖かったです。

経験値が貯まってきてから気づいたんですが、「選択したら、次の選択肢が現れる」んですよね。衝撃でした。しかも、狭まるんじゃなくて、実は可能性が広がる。

しかも、ひとつの選択を抜けたときの景色も気持ちのいいものでした。人生が豊かになるってこういうことなのかとも思いました。

選択できれば他人も尊重できる

選択する時って、結構怖いんですよね。でも、選択を重ねると見えてくる景色もあります。

ある程度重ねると、他人の選択した方向も理解できるようになる気がします。「こういうときに、この人はこっちに行ったんだ」その時の怖さや不安もも含めてわかるから、尊重できるようになるのだと思いました。

私の場合は、会社だけで働くことは選択肢が少ない状態にも感じたことがありました。それは時代の流れで失敗しずらい世の中になったせいもあるとも感じています。ただ、それは「窮屈」ともいえるわけで。

日々の小さい選択から

選択肢って自分が思っていたよりも小さいところにもあったりして、それに気づいて拾ってあげることからはじめればいいんだと気づきました。

それは、ちょっと違う道を通ってみるとか、いつも夜に行くスーパーに朝行ってみるとか、そんな小さいことでもOK。というか、こういう小さい選択を練習として積んでおくといいらしいです。

私がやったことのひとつは、味噌をの米麴味噌に変えたこと。
味噌汁が美味しい。これも選択を抜けた後に見えた新しい日常の景色でした。