売ろうと思っていなかったnoteが売れた話|個人の言葉の価値について考えたこと
こんにちは、Tomokoです。
noteの記事が売れました。0→1達成です。
コロナ禍の副業ブーム以来、私も副業に興味を持ったひとりですが、「とりあえずやってみよう」くらいの温度感でnoteを始めました。
軽いノリだったんですが、まさか記事が売れるとは…。
投稿数時間後、見慣れない通知が…
真面目に書いた記事ではあったんですが、「売ろう」と思って書いた記事ではありませんでした。ボリュームもそこそこあったので、この労力を無料で出すにはちょっと軽すぎるなと感じたこともあり、値段をつけてみたんです。
投稿して数時間後、noteを開いてみたらこんな通知が。

えっ….
うれしいというよりは、信じられない気持ちが圧倒的に勝っていました。
何で買ってくれたのか?
なんで買ってくれたんだろう?
これが次に頭に浮かんだことでした。このnoteは1年程書き続けていたものでしたが、コメント欄で積極的に交流していたわけでもありませんでしたし、実際に買ってくれたのはフォロワーさんじゃなかったんですよね。
このことから気づいたのは、
- 凡人な私が語る言葉でも欲しいと感じてくれる方がいる
- 1年間の積み重ねが信頼につながっていたのかもしれない
noteに対する考えの変化
私自身、誰かの記事を買うってことをしたことはありませんでした。書籍はサクッと買えますが、個人の記事だと突然ハードルが高くなる感覚があったんです。
でも、考えてみると書籍じゃなくて個人の言葉から学ぶこともあるなあと思います。それに、YouTubeやInstagramのような個人の発信から学ぶことが当たり前になっているんだから、noteで学べるならお金を払う人だっていても不思議じゃない。
書籍は編集者や出版社との協力の上で出来上がっているから、伝わりやすさやわかりやすさは洗練されていると思います。でも、SNSが普及して、個人の言葉を受け取るのが普通になった分、noteで普通の人の言葉が買われるのもおかしくない。第三者を挟まない分、リアルな気持ちや言葉が届くと思いますし。
そんなことを考えてから、私が書いたnoteを読んで、心落ち着いたり、気づいたり、役になっていたらいいなと思うようになりました。また、他のクリエイターさんのnoteを買うようになりました。
「職人から直接買う」ことに戻っているのかも
せっかく「ものづくり×技術英語」のブログなので、その観点で気づいたことも書いておこうと思います。
産業革命で製品が量産されるようになると、職人の仕事が減ったと言われていました。ネット記事も、一時期同じ記事が検索結果に並んだ時期があり、それに似ています。
でも、アルゴリズムの進化で色んな人が書いた記事が検索結果に並ぶようになったり、SNSで集客したり。AIの登場で再び記事の量産がしやすい時代に入ったとは思いますが、「個人から記事を買う」こと、産業革命前にあった職人から直接買うという時代に戻っているように感じました。
AIが記事を量産している事実はあると思うので、量産と職人のハイブリッドな時代なのかもしれません。
クリエイターとしての経験を積めた
今回の経験を通して感じたのは、「個人の言葉でも、誰かに届くことがある」ということでした。売ろうと思っていなくても、積み重ねてきたものが、どこかで価値になることがある。
そんなことを実感できる経験ができました。



