積み上げて壊して、また積み上げる。この繰り返し。
こんにちは、Tomoko です。
「学ぶことは、自己否定の連続」
この言葉を聞いたとき、少し衝撃を受けました。
私はずっと「学ぶこと=積み上げること」だと思っていたからです。でもよく考えると、それは学校教育の中で「正解を更新していく感覚」に慣れていただけなのかもしれません。
在宅ワークや発信を通して「自分の考えを言葉にする」経験が増えた今、この言葉が、身体の中を一気に通り抜けるように残りました。
学校教育の罠にはまっていたかも
個人的に学校での学びって聞くと、「勉強」を思い浮かべます。言葉の区別がついていなかったのもあると思います。でも、それ以上に体験で得た感覚の方が強かったのかもしれません。
学校教育は暗記が中心でした。学年が上がれば内容も難しく、レベルアップしていきます。学年が上がると量が増えたり、応用が増えたり。
「正解を更新していくこと=学び」だと思い込んでいました。
道徳の時間もありましたが、先生の方針でコントロールされやすい気がします。小学校に英語の授業が導入される際も、今の先生たちが教えられる英語力を持っているかどうかなど課題もあったと聞いています。
同じように「道徳ってどやって教えればいいだろう?」と多くの大人が疑問に思う状態で、教えてれていた可能性もあります。
自己否定は、正直、怖いし苦しい
「学ぶことは、自己否定の連続」を聞いて身体に稲妻が走ったのは、在宅ワークの経験が大きく影響していると思います。
在宅ワークで月5万円を達成したり、noteで記事が売れたりを経験することができました。人生が変わるほどの変化はありませんが、振り返ってみると、これらを経験するまでに、かなりの自己否定をしてきたように思います。
自己否定と聞くとネガティブで気持ちが暗くなる印象も多少あると思います。でも、今は生き方の再編集であり、仕事の仕方の再編集だと思っています。
翻訳通訳という仕事の性質上、仕事はやってくるものでした。でも、在宅ワークをするとなると多少なりとも営業や提案が必要になります。仕事を取りに行くという感覚です。
特にはじめたばかりの頃って、右も左もわからない状態です。提案も自分なりには頑張ったつもりでも「そりゃあ採用されないよね」っていう質だったと思います。それでも頑張ったことは自分の中で事実としてあるので、うまくいかなかったときのダメージは結構大きいんですよね。
ブログやnoteも似たような感じです。このブログも、はじめて半年はアクセスほぼゼロでした。読まれないのに書き続けるのはしんどいものがあるので、読まれるためのテクニックを学ぶことになりました。でも、そのテクニックを取り入れて自分が書きたいカタチと違うと気づいたとき、多少自分の信念を曲げないと読まれないという葛藤もありました。
再編集して見える景色が広がった
在宅ワークやブログを通して、自己否定しながら日々を過ごしてきました。見える景色は変わってきたように感じます。以前よりも高く遠くまで見える感じです。
否定はしてきたのですが、否定したものがなくなったわけでもないような気がします。「行動」としては手放したけど、自分の中にはそれは残っているし新しい景色の土台になってくれている気がします。
在宅ワークでの新たなご縁や発信の中での学びがある日々で、今日も自己否定と再編成が続いています。
ちょっと積み上げて、壊して、また少し積み上げて。再編成はその積み重ねでした。
おまけ|こんなところにも
「積み上げたものぶっ壊して 身に着けたもの取っ払って~♪」
スキマスイッチの「全力少年」も似たこと言っていたって、大人になってから気づきました。



