1年間noteを書き続けたら、コミュニケーションが変わっていた話
こんにちは、Tomoko です。
もともと口頭でのコミュニケーションが苦手です。
いつか何とかしたいと思っていました。ただ最近、以前と比べたらスラスラと言えるようになってきて、「周りの反応も少し変わった?」と感じるようにもなってきました。
noteを書きまくった1年だった
何が影響したのか考えてみると、浮かんだのはnoteを1年で200本書いたことでした。
結果論のようなものなので、「たぶんこういう効果があったんじゃないか」という観点で考えを書いてみようと思います。
noteを書いてコミュニケーションが変わった理由
感情や気持ちを拾う練習になった
最近は気HSPや内向型などの気質についてのコンテンツも多く、その中でHSPや内向型の気質が若干あるなと感じていたんです。敏感と言うよりは、得た情報や考えを処理するのに時間が必要と言う点が特に。
会社だとある程度ルールがあったり、立場的に自分の意思が必ず反映される場面も少ないと、その場で自分の考えや意見を抑えることってあると思います。抑えるのが続くと、自分の感性を拾えなくなってきちゃったり、時間差で出てきたり。
全部を拾うのは無理がありますが、遅れてやってくる感情や気持ちを拾ってあげる必要はいい練習になりました。遅れてきたものを拾っておくと、「私はこういうときにこう感じているらしい」というパターンが見えてきました。
言葉にする練習になった
気持ちや感情が遅れてやってくると、言葉にせずに流してしまいがちです。これが、言葉しない経験が重なる原因だと思っています。
スピード重視の場面ではどうしても、間に合わなかったり、伝えても逆にストレスになったりして、言葉にするのを諦めていた可能性もあるかもしれません。
書くことで自分の言葉や気持ちを、自分でどう表現するかを考えたうえで、言葉にする練習ができました。noteに書いて投稿するとスキの反応も得られるので、「どこがよかったんだろう」とまた疑問を言語化することで、自己理解や他者理解も深まりました。
自分の気持ちを世の中に出しても意外と大丈夫という経験が積めた
正直、noteを始める前はSNSが怖かったです。言葉にするのに時間がかかるタイプなので、スルーされてしまったり、言い返されて終わってしまったりする経験が重なっていたんだとと思います。
でも、いざ投稿してみると、良くも悪くもないというか。いまでも「これ、投稿するか迷う…」と怖気づいてしまった末に勇気を振り絞って投稿することもあるのですが、意外と起こりません。
これって、「大丈夫かな?」という内容でも、ただその言葉や気持ちを否定せずに存在させてもらえたという経験につながったと思います。
コミュニケーションにどう影響したのか
瞬発力が上がった
言い返す瞬発力が上がった気がします。以前は「ん?」と感じたけど言葉にできずに流れてしまっていました。でも、次第に自分のことがわかってきて、「嫌なものは嫌「私はこう思う」みたいのに輪郭がでてくるようになりました。その輪郭を言葉にする練習ができていたようで、パッと言い返せるようになって気がします。
自己開示ができるようになってきた
「嫌なものは嫌「私はこう思う」みたいのに輪郭がでてきたときに、「どう伝えるか?」の選択肢として自分の体験や気持ちを話の中に自然と交えて話せるようになっていました。
会話の中で、このエピソードをここに入れてみようとか、出すタイミングみたいなのも少し考えられるようになってきたかもしれません。
反応がなくてもいいと思えるようになった
noteを含む、SNSって反応がないことも多いです。
反応がないのは、
- 相手が意見を言えない
- こちらの発言を理解できていない(こちらの伝え方が悪いとは限らない)
- 相手にそもそもそういう視点がない
など、いろんな理由があるのが見えてきました。
簡単に言うと、反応がないのは「私だけが悪い」とは限らないということです。ただ、時と場合によっては、話さないといけない場面もあるのでなるべく伝え方やタイミングを調整する練習はしないといけないなと感じています。
書くことはめちゃくちゃいい練習になる
noteを書くことでコミュニケーションが変わってきたという話を書いてみて、改めて「書くことを続けてみてよかったな」と思いました。
人生が変わるほどの影響は感じられません。でも、自分の意見や気持ちを出すことで世の中に存在させることができたし、怖くて出しにくいことも意外と存在はさせてもらえることがわかりました。
この積み重が、コミュニケーションが少しずつ変わってきた理由のひとつだったのかもしれません。
もちろん、何でもnoteに書いていたわけではありません。「さすがにnoteには書けないな」と感じたことは、個人で完結するジャーナリングをしていました。これも、安心して言葉にする練習になっていたのかもしれません。



