「わからない」のは、悪いことじゃない
こんにちは、Tomoko です。
モーニングノートって聞いたことありますか?
毎日、朝にA4の紙に自分が考えていることを書きだしてみるというものです。ノートに書きだすことで雑念が外に排出されて、「自分は本当は何を考えているのか?何がやりたいのか?」がわかってくるというものです。私も数年前にやってみたことがあります。
「わからない状態」が続くと怖くなる
結論から言うと、書けませんでした。
「わからない」と書き続けてもいいという運用みたいなんですが、あまりにも「わからない」が続きました。2週間程ノートに向かった頃に、「ずっとわからないままだったらどうしよう」という恐怖心が大きくなっているのに気づいて、止めてしまいました。
「わからないのが怖くてやめた」と言う理由は少し雑で、
- 2週間程続けた
- ノートに書きだした
行動したけど何も変わらないし、変わる気配もないみたいな種類の「わからない状態」が続いたことに怖くなってしまったんだと思います。
「わからない」はその時点での答えであり、問いでもある
いま考えると「わからない」もひとつの答えであると思います。「わからない」ことがわかると次のフェーズに入れると思うからです。答えであって、問いの発生みたいな。
「わからない」がわかったら「答え」に意識が向いていきました。
「わからない」の正体は「整理されていない」だった
わからない状態には大まかに2つあると思っています。
- 考える材料がなくてわからない状態
- 材料がありすぎて整理できていないわからない状態
私の場合は、「材料がありすぎて整理できていないわからない状態」の割合が大きくなっていました。色んなことをコネコネ考えることはできていたんですが、どこかスッキリ整理できていなくて、ずっとモヤモヤしている感じです。
このモヤモヤをスッキリさせるには、「わからない」の解像度を上げればいいと思っています。
「わからない」解像度を上げる
「わからない」解像度を上げるとは、「なんでわからないのか」を言葉にするということです。なぜなぜ分析みたいなものだと思います。
なぜ→なぜ→なぜ、と「なぜ」の繰り返しだけで進められるといいのですが、私はこの方法でできませんでした。
だから、違和感を深堀りする形で言葉にしていました。なんでもいいんです。
- なんかいや
- 腹が立つ
- モヤっとする
- 腑に落ちない感覚が残る
- 「はあ?」と思う
このあたりの感覚を使って、ひとつひとつしらみつぶしに考えていくスタイルを取りました。
違和感を少しずつクリアにしていくことで、「わからない」の解像度があがり、「自分ってこう考えてたんだな」が見えるようになってきました。
「わからない」は、相棒のひとり
以前の私は、「わからない」を早く解決しなければいけないものだと思っていました。でも今は、「わからない」が出てきたら少し立ち止まって考えるようになりました。
すぐに答えが出ることもあれば、時間が必要なこともあります。
どちらにせよ、
- 「何がわからないのか」
- 「どこに違和感があるのか」
を言葉にしていくと、少しずつ輪郭が見えてくることがあります。
それがわかったので、「わからない」が出てきても前ほど怖くなくなりました。
わかったことは取り入れるし、わからないことは保留だけど持っておく。どちらも細く長く付き合う相棒みたいな感じになっている気がします。



