自分と向き合うのは、修行みたい
こんにちは、Tomoko です。
在宅ワークをはじめてから、「どんな仕事が向いているんだろう」と考える機会が増えました。これを考え始めると、自分の苦手なことや避けてきたことにも向き合う場面が出てきました。
そこでわかったのは、自分と向き合うって思っていた以上に難しいということでした。気持ちが落ち込んだり、しんどい時期が続いたこともありました。
いま、その時のことを言葉にできそうと思ったので、当時の状態や感じていたことを残してみようと思います。
自分の感情と少し距離を置く
自分と向き合いはじめて、自分の感情と少し距離を置いて、「今、これが起きている」と「今、自分はこう感じている」の両方を客観的に見ることでした。これが本当に難しかったです。
メタ認知というそうです。
マインドフルネスにも近い感覚だと思います。
苦しいことや嫌なことと向き合うと、やらないといけないこともわかってるし、合理的な判断をしたい気持ちもあるんですけど、どうしても辛い気持ちに負けちゃうことってあったんですよね。
色んなことを少しずつ試して、できるようになってきました。
メタ認知を育てるのに試したのは、
- 瞑想
- セルフコンパッション
- ジャーナリング
などでした。
私には、セルフコンパッションがやりやすかったです。
入り口はセルフコンパッションで、徐々に他の方法でもできるようになりました。どれも一歩引いて観察する練習のような感覚、練習を繰り返すことで少しずつメタ認知につながっていったと感じます。
偉大な人も、同じ人間だったらしい
メタ認知の感覚を掴んだきっかけは、書籍『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学 』を読んだことでした。
「悩みがない人の考え方」を学ぶというよりも、「人ってこういう仕組みで悩むんだな」と整理してくれる感覚がありました。特に印象的だったのは、社会的に成功している人でも人生の悩みはなくならないということでした。
誰でも一度は名前を聞いたことがある、ブッダ(釈迦)。
実家が裕福で王子という立場だったのに、本では「無職ニート」と表現されていて、一瞬「えっ…!?」と困惑してしまいました。歴史の教科書に載るくらい偉大と思っていた人が、「自分て何だろう?」と悩み、家を出たそうです。
この話を読んで、すごいと思っていた人も同じ人間だったんだなあって改めて思いました。
仏教って自分を客観視する考え方かも
おまけ効果で、仏教のイメージも変わりました。
それまで、仏教って精神論のイメージがあったんですよね。でも、読んでみると「感情と距離を取って、世界を観察する技術」みたいな印象を受けました。
お坊さんに対しても、すごいという気持ちが生まれました。YouTubeで発信しているお坊さんの動画を見るようにもなったんですが、「こういう言葉を選ぶんだな」という学びや、「言葉や姿勢から感じる寛容さ」を感じられるようになりました。
お坊さんと同じレベルを目指す必要はないと思っています。ただ、少しずつ慣れていくと、生きるのが楽になるのかも、と感じています。
一般人の私も毎日修行してるっぽい
メタ認知ができるようになってきて、「どんな仕事をするか」だけでなく、「自分をどう扱うか」を考えるようになりました。
自己理解って、何か特別な答えを見つける作業ではなくて、自分を観察する練習を積み重ねることなのかもしれません。
「積み重ね=修行」みたいですね。
そう考えると、一般人の私も毎日ちょっとずつ修行しているのかもしれません。




